こんにちは、読書はしているのですが記事にまとめられていない本が多すぎるコロ助です。
というのも最近読んでいたのはかなり堅苦しく、友人と話していても微妙なリアクションだったのでかなりコアなニーズになっていそうです(笑)
今回はそのコアなニーズであろう読書本の中でも際立って面白かった1冊をご紹介したいと思います。
資本主義への疑問、現代社会への疑問がある方は是非読んでほしい1冊です。
概要
今回ご紹介する本は百年以上前に発表された論文の内容をまとめた「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」、通称「プロ倫」です。
著者はドイツの社会学者であるマックス・ヴェーバー氏です。
この本はマルクスの資本論とは反対に、資本主義が成立した構造を示す内容となっており20世紀の名著 第4位となっています。
マルクスの資本論は結局のところ、現実とは異なっており現状はその逆方向に世界は進んでいます。
その事実はありつつも、資本主義が成り立った過程を示した研究はなかったところにこのプロ倫が発表されたので、当時はかなりの反響でありそれが現在でも通じているのは本当に凄いことだと思います。
前置きはこれくらいにして、本書の内容に入っていきましょう。
全2章で構成されており、1章では資本主義が発展した国とそうでない国の民族宗教的な土壌を解説しており、ここでいう民族宗教とはキリスト教の宗派であるカトリックとプロテスタントです。
カトリックとプロテスタントの細かな説明はここでは行いませんが、本書を読むには必須の知識になります。
本題は2章であり、民族宗教の違いがどのように資本主義の発展に寄与したかを逆説的に説明しています。
この記事ではコロ助の印象に残っている内容をまとめたいと思います。
金持ちが尊敬される社会とその行先
この本では資本主義の発展過程が書かれており、その中でなぜ金持ちが尊敬される社会となったのかという理由が解き明かされます。
結論から言うと、キリスト教カルヴァン派の救済予定説から来ています。
アジアで広く信仰されている仏教は輪廻転生を繰り返し、悟ることで涅槃に行くことができるのですが、キリスト教では人間が死ぬときに最後の審判を受け、地獄か天国のどちらかに行きます。
カルヴァン派の救済予定説とは、この最後の審判の結果は予め決まっていて、善行を積もうが悪行を働こうが審判には関係ないという説です。
信者はこの予定説から絶対神がわざわざ悪行を積んだ人を救うはずがないと解釈し、善行を積む私が救われるはずだという考えに至ります。
ここでいう善行がどういうことかというのが資本主義に繋がるのです。
カトリックでは仕事や金銭は汚いものとして扱われますが、プロテスタントでは仕事をして人を喜ばせたり、救う行為は徳とされます。
この差が資本主義の発展に大きな差をつけ、現状アメリカを筆頭にプロテスタントの精神を持つ国はさらに資本主義(貧富の差も)が加速しています。
資本主義の発展過程がわかったところで、今後の資本主義はどうなるかを本書では予想しています。
それは信仰の世俗化によって、お金を稼ぐことが目的になってくること。
本書では「精神なき専門人」・「心情なき享楽人」として描写され、どんな方法でもお金さえ稼げればいいと考えの人を批判しています。
これらは現代にも当てはまっている思っています。
プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神のまとめ
いかがでしたでしょうか。
この本は大学の授業でも取り扱われることもあるくらいですが、文章は複雑でかなり読むのには苦労します。
ただ内容はこのようにとても興味深いので、興味を持たれた方は是非勇気を出して読んでみてくださいね。
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