太平洋の真ん中で「もしも」が起きたら?
日本からハワイやアメリカ本土へ向かう際、窓の外には見渡す限りの青い海が広がっています。「今、陸地から何千キロも離れているんだな」と旅情を感じる一方で、ふとこんな不安が頭をよぎることはありませんか?
「もし今、飛行機のエンジンが止まってしまったら、どうなるんだろう?」
周囲に空港はおろか、小さな島さえない大海原。そんな場所を飛ぶ飛行機には、実は万が一の事態に備えた、世界共通の非常に厳しい安全ルールが定められています。それが**「ETOPS(イートップス)」**です。
この記事では、現代の飛行機がなぜ安心して海を越えられるのか、その裏にある「見えない安全網」の仕組みと歴史について、分かりやすく解説します。
1. かつての常識「双発機は海を飛んではいけない」
現在、空の主役はエンジンが左右に1つずつ付いた「双発機(そうはつき)」(ボーイング777, 787, エアバスA350など)です。しかし、ほんの数十年前まで、双発機で広い海を渡ることは「危険すぎる」とされていました。
60分の「見えない壁」
ジェット機の黎明期、エンジンの信頼性は今ほど高くありませんでした。「飛行中にエンジンが止まる」というトラブルは、決して珍しいことではなかったのです。
もし双発機の片方のエンジンが止まったら、残りの1つだけで飛び続けなければなりません。陸地の上ならまだしも、海の上では命取りになります。
そこで、国際的なルールとして**「双発機は、片方のエンジンが停止しても、60分以内に着陸できる空港がある範囲しか飛んではいけない」**という制限が設けられました。これを「60分ルール」と呼びます。
昔の海外旅行が「ジャンボ機」だった理由
このルールのため、双発機は空港のない大洋の真ん中をショートカットして飛ぶことができませんでした。海岸線に沿って遠回りをするか、島づたいに飛ぶしかなかったのです。
だからこそ、一昔前の長距離国際線では、エンジンが3つある(トライスター、DC-10)や、4つある「ジャンボ機」(ボーイング747)が主流でした。エンジンが多い飛行機は、1つ止まっても残りのパワーに余裕があるため、このルールの対象外だったからです。
2. 革命を起こした新ルール「ETOPS(イートップス)」の登場
しかし、時代は変わります。ジェットエンジンの技術は飛躍的に進化し、故障率は劇的に下がりました。「ほとんど壊れないエンジン」の登場により、ついに古いルールが見直されることになります。
ETOPS=「エンジン1つでも頑張れるスタミナ証明書」
1980年代、新しい安全基準として登場したのが**「ETOPS(イートップス)」**です。 これは「Extended-range Twin-engine Operational Performance Standards(双発機による長距離進出運航基準)」の略ですが、難しく考える必要はありません。
簡単に言えば、**「もしエンジンが1つになっても、〇〇分の間は安全に飛び続けて、代替空港までたどり着けます」ということを証明する「スタミナ認定証」**のようなものです。
太平洋の「空白地帯」が消えた日
エンジンの信頼性が上がるとともに、この「〇〇分」の認定時間はどんどん延びていきました。
- ETOPS-120(120分): 当初はここからスタートしました。
- ETOPS-180(180分): 「3時間」の飛行が認められたことで、太平洋のルートが劇的に変わりました。ハワイとアメリカ本土の間など、それまで「空白地帯」だったエリアを真っ直ぐ飛べるようになったのです。
この認定のおかげで、燃費の良い双発機が長距離路線にどんどん進出できるようになり、航空券の価格を抑えることにも繋がりました。
3. ETOPSはどのように認定されるのか?厳しい審査の裏側
ETOPSは、「新しい飛行機だからOK」と簡単に与えられるものではありません。非常に厳しい2段階の審査をクリアする必要があります。
1. 機体メーカーへの審査(型式証明)
ボーイングやエアバスといったメーカーは、設計段階から「片方のエンジンが止まっても、発電機や油圧システムが正常に動き続けるか」「残ったエンジンに過度な負担がかからないか」を徹底的にテストします。数千時間に及ぶ飛行試験を経て、まず機体そのものの能力が証明されます。
航空会社はこの飛行機はETOPSを取得できるのか否かを条件に入れているということです。
2. 航空会社への審査(運航承認)
ここが重要です。同じ「ボーイング787」を使っていても、すべての航空会社が同じETOPS認定を受けられるわけではありません。
JALやANAのような航空会社は、日々の整備体制、パイロットの緊急時対応訓練、エンジンの状態監視システムなどが完璧であることを国の航空局に示さなければなりません。何年もかけて安全運航の実績を積み重ねた会社だけが、長時間のETOPS認定を許可されるのです。
つまり、私たちが乗っている飛行機は、機体の性能と、航空会社のプロ意識の両方によって支えられているのです。
4. 常識を覆す最新機材!驚異の「5時間超え」認定
現在、技術の進歩はさらに加速しています。最新鋭の機体では、私たちが想像もしなかったレベルの認定が実現しています。
地球上のほぼ全てが飛行可能エリアに
ボーイング787「ドリームライナー」やエアバスA350といった最新鋭機の一部は、なんと**「ETOPS-330(5時間30分)」**や、それ以上の認定を受けています。
「エンジンが1つ止まった状態で、そこから5時間半以上飛び続けられる」ということです。これだけの時間があれば、太平洋のどこにいても、ハワイ、グアム、アラスカ、日本などのいずれかの空港に余裕を持って到達できます。
これにより、現在では南極大陸の一部を除く、地球上のほぼ全てのエリアを双発機が自由に飛べる時代になりました。
まとめ:見えない「安全網」が空の旅を支えている
飛行機が海を渡れる理由をまとめると、以下のようになります。
- 昔は「60分ルール」があり、双発機は海を飛べなかった。
- エンジンの進化により、「ETOPS」という新ルールができた。
- これは「片側エンジンでも一定時間飛び続けられる」という証明書である。
- 最新機材は5時間以上の飛行が可能となり、地球上のほぼどこでも飛べるようになった。
次に海外旅行で飛行機に乗る際、もし窓の外が真っ暗な海だったとしても、安心してください。あなたの乗る飛行機は、厳しい審査をクリアした「見えない安全網」にしっかりと守られながら飛んでいるのです。

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