「寒山拾得」情報過多の現代において大事な教え

趣味

こんにちは、早くも今年も半分が終了ですね。
時の流れが早く感じるのは新しい経験が減っているからだそうですので、毎年何かしら新しい経験をしようと決めていますがまだ足りないようです(笑)

今回は誰もが知る森鴎外作品の1つ「寒山拾得」を紹介したいと思います。

概要

はじめに寒山拾得とは何なのかというと、唐の時代の中国江蘇省蘇州市楓橋鎮にある臨済宗の寺に伝わる寒山と拾得2人の僧を意味しています。

この寒山と拾得は本を読めばわかりますが、2人の特性上存在自体が怪しまれていますが芸術・文芸・芸能作品と多方面で作品が残されていることから存在していたのではないかとコロ助は考えています。

森鴎外が書いたこの作品はとても中途半端なところで終わる不思議な短編小説で、1つの参考書も持たずに子どもに話した内容をもとに書き上げた作品だそうです。

寒山拾得図 e国宝より

寒山拾得の言いたいところ・意味

この作品を読み終わって言いたいことは何だったのかと考えてみました。

考察の結論から言うと、「人を盲目(詳しく知らず)に判断するな」です。

話の筋を簡単に説明すると、主人公は恩のある偉大な僧から、寒山と拾得という僧はそれぞれ菩薩の化身と言われてるという話を聞き、楽しみに会いに行ってみたが全くの見当違いの身なりや行動だったというお話です。

ここから考えられるのは誰かが紹介する事柄全てにおいて、自分が判断できる材料がない状態で判断するのは間違いであると言うことです。

現代はSNSが発展してきて、インフルエンサーやYoutuberという個人が商品のプロモーションを行ったりする時代になってきています。
他にはお金を持っている方たちの休日だったり、外見の整った方たちの優雅な生活の一部が投稿されて誰でも見ることができるようになりました。

そこで最近コロ助が感じるのは、お金を持っている方が立派・外見が整っている人は良い人のような風潮です。

さらにSNS活動をするくらいですので、口がうまい方や語気が強い方が多いと感じます。

そこで寒山拾得のような考えが無ければ、自分が偏見でその人を判断しているということに気づけないのです。

お金がある・外見が整っているというのは人にポジティブな偏見を持たせる効果が今の社会にはあります。
それをルッキズムの弊害として捉えれたりもできます。

しかしそれが大きな間違いであるということは、ニュースなどを見れば明確なはずです。
お金があろうとなかろうと、外見が整っていようがいまいが、健全な精神が無ければ倫理的に誤った行動をします。

寒山拾得のまとめ

なぜこんな記事を書いたかと言うと、最近経営者の不倫やインフルエンサーのペット虐待などのニュースを見て、コロ助としてはそんなニュースが出る前からその人達の言動が胡散臭いと感じていたりしていたのですが、一部騙された方がその経営者やインフルエンサーを持ち上げるような界隈を作っていると感じたからです。

何よりインフルエンサーや芸能人の動物虐待や育児放棄という問題については命の関わっている問題です。
生き物の可愛い面を愛せるのは当たり前で、面倒な面は放置なのであればそれは内面が小学生以下ということです。

もちろん騙されていた、盲信していた方々を悪く言うつもりはないですが、そんな倫理観の掛けた人間に簡単に騙されていては投資詐欺などの実害が出る可能性が高いですし、倫理観に掛けた人が活躍する世の中になってしまいます。

自分で情報を集め、人を外見や資産ではなく内面で判断した方が絶対に良い世の中になるのではないでしょうか。

森鴎外の「寒山拾得」はiPhoneのブックアプリで無料で読めますので是非読んでみてくださいね。
短編なので1時間位で読めると思います。

先月紹介した本はこちらから

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